Arantium Maestum

プログラミング、囲碁、読書の話題

「中世を旅する人びと」読了

ひょんなことから十年ぶりぐらいにTRPGのDMをすることになった。

昔々やっていた時も、好きな西洋史の知識をある程度活用して世界観を構築していくタイプだったのだが、社会人になってからはやはり社会性などを非常に重視したいという欲望が頭を擡げてくる。必ずしもリアリティの追及がPC、DM双方にとってのセッションの質的向上を約束するものではないことは念頭に置く必要があるが・・・

ということで、中世ヨーロッパについて資料を漁っている。欧州史に関して日本語の資料に当たるのははじめてだが、Amazonを見てみたところ中世に関しては阿部謹也(敬称略)の著作が豊富かつ評判のようである。彼の初期の著作である「中世を旅する人びと」を読んでみた。

中世における街道(もちろんその主たるものは滅び去ったローマ帝国が真面目にヨーロッパ中に敷いたものだ)や農村で毎年敷きなおされる小道、運輸の要たる河と陸路を繋ぐ渡し守、居酒屋・旅籠についての話から始まり、農民、粉ひき、牧人、ジプシー、乞食と、都市の人間から見下され、怖れられ、あるいは迫害されてきた民の生活が描かれる。さらには様々なギルド(ドイツ語だとツンフトというらしい。同職組合の意である)に所属する職人が有限な親方ポジションとの人員調整のため遍歴する様を解説し、その社会形態から生まれ、よく反映しているものとしてかの有名なティル・オイレンシュピーゲルの逸話に言及する。

あるいはファンタジーの影響か、中世世界に対しては(魔女狩りやペストなどのイベントがない状況では)牧歌的なイメージを持ちがちだが、生活史を読むとやはり切実な利害のせめぎ合いや不信感は多かったことがわかる。粉ひき達が領主の権威を笠に臼を独占し、村・町の外にある水車小屋の住民として農民たちから忌み嫌われたというのは面白くもあり哀しくもある。

少し気になった点としては、構成が違和感を覚えさせる部分が幾らか多かったことだろう。例えば粉ひき、パンの文化、牧人、肉屋という章の連なりは「都市・村」「定住・旅人」という区分などを行ったり来たりしているし、そもそもパン屋や肉屋はギルド化しているので、職人遍歴の章に合わせたほうがすっきりするように思う。全体的に、資料としての読みやすさを重視する統一的な意思よりも、各話題から寄り道するようなより散文的な構造であるように思う。あとがきを読むと連載をまとめたもののようなので、当然といえば当然かもしれない。

通読して本の構造がそのままテーマの全体像の構造把握に繋がっているわけではなく、様々な立場の中世の庶民たちの生活・慣習・苦労や喜び・お互いの関係性・権力との立ち位置などを文献の引用やアネクドートを豊富に詰め込んである楽しい読み物、というのがこの書籍の本質だろうか。とすれば、一見雑多な知識として溜め込めるだけ溜め込み、似たテーマの他の資料も漁って、時間をかけて自分なりの全体像の醸成を待つのがいいかもしれない。

この一冊では、当然ながら「中世」を把握することはできない。タイトルかつテーマである「中世を旅する人びと」について把握することさえ無理だろう。この本の真価は多分、まずは中世をおぼろげながら理解した土壌の上に、その世界のイメージをさらに精緻なものにし、色彩豊かに描き上げるための一級資料として発揮されるものではないかと思う。ということで、続けて他の本(たとえば「中世ヨーロッパの都市の生活」ジョゼフ・ギース、フランシス・ギース著など)も読んでみたい。